「コッペリア」 加納朋子 (ネタバレ注意)

スワニルダという婚約者がいながら、コッペリウス博士の作った人形コッペリアに恋してしまった青年フランツが主人公のバレエ「コッペリア」のオマージュと言える作品。その人形とそっくりな人の命を吸い取れるほどの情念こもった人形を作る女性人形作家を軸に、その人形に恋した青年、そしてその人形に生き写しの娘をめぐる物語である。
加納朋子の作品は、「ななつのこ」に始まって「ガラスの麒麟」までしか読んでいないが、すごく優しくて透明感ある物語を書く人だという印象があった。しかし、この「コッペリア」の前半は幻想的な雰囲気を湛えるとともに、人形に取り憑かれた人たちの情念を陰鬱に描写していく。ただ、陰鬱と言ってもおどろおどろしさではなく、人形という無機物の持つ乾いた、硬質な陰鬱さで。それまで持っていた彼女の作品に対するイメージとは正反対とも言える雰囲気なだけに、このような文章も書けるんだという新鮮な驚きがあった。優しそうな女性でもその心の底には女の情念を湛えていて、それがここに現れているとまで言ったら言い過ぎだろうか。ともかく、前半の雰囲気は、この物語に対して悲壮なまでの異形さを印象づけるという点で十分に効果的だった。
それが、後半、大きな転換を見せる。それまでの幻想小説が、一気に靄が晴れるように加納朋子本来のミステリのフィールドへと引き戻されるのだ。なぜ娘は人形に生き写しだったのか、なぜ人形作家は死んでしまったのか。それとともに、前半部が幻想小説という隠れ蓑をまとった倒叙ミステリでもあったことが明らかとなる。連続しているかのように思えた時間が実は二つの時系列であり、一人と思っていた人物が実際には二人であった(二重の意味で)ことが分かるのだ。筒井康隆の「ロートレック荘事件」に通じるトリックが潜んでいる。急に靄が晴れたとまどいと、予想もしなかったところからの攻撃に、またもや驚かされることになった。ただ、ここを読んでいる時点では、いっそ最後まで濃密な靄の中に居たかったという思いも感じていた。無理やり力技で現実に引き戻されるかのような感じがあったから。
そして、エピローグで再度、大きな転換が起きる。それまで人形に取り憑かれて呪われていた登場人物たちが、本来の加納朋子的な優しい人たちへと変身する。まさに人形の呪いか憑き物が落ちたかのように。そして最後のシーンは、映画「猟奇的な彼女」のエンディングを思い出させるような結末。この結末をどう捉えるかで、本作全体の評価が分かれるかも知れない。ある意味、予定調和的な感もあるが、自分としてはこれは加納朋子らしい登場人物へ向けた優しさだと思った。救いと言ってもいい。この結末あってこそ、呪いとその祓い、そして救いという形態が完結する。そして、この作品がバレエ「コッペリア」のオマージュである限り、もちろん、この二人の結末もこうなるべきであることは予定されていたことなのだ。