「傀儡后」 牧野修

あらすじ:大阪の中心に隕石が落ち、付近一帯が文字通り一度立ち入ったら二度とは出てこれない状態になってから20年、麗腐病と呼ばれる皮膚がナイロン化する奇病を患った者やコミュと呼ばれる「つながっていたい」症候群の子供たちが消え始めた。彼らの行く先はおそらく立ち入り禁止区域。失踪した人物の足取りを追っていた探偵が行き着いた真相は、立ち入り禁止区域の中の異形の世界に君臨する傀儡后の存在だった。

結論から言おう。女神転生(古いけど他にいい例えを知らないだけ)のような異形の別世界を描いた物語や、「着る」ということにエロティシズムを感じる人は読んでみてもよいと思う。ただ、結末に至る展開には??な部分も多いし、いろんなガジェットや伏線を散りばめた割にはまとめきれていない感じが否めないのも事実。読み終わって、結局何だったんだ!?と思う人もきっと多いと思う。それでも、これだけ「着る」ことに執着して幻視された異世界を垣間見るという点で、自分にとっては十分に面白い作品だった。

本書には様々なタイプの「着る」人たちが現れる。女装、男装は当然として、動物に変身したり、全身タイツのショッカーが現れたり、別の人間の皮を着てたり、住居をまるごと着てしまったり。はてはテーブルや男性を着た(?)少女がいたり、最終的な結末は世界を着ることだったりする。相当にイっちゃった世界だ。このような極端な姿を見せられると、「着る」ことが人間の二次的(社会的)な欲求と強く結びついているのを感じる。

ただ、これほどまで先鋭化された状態で示されなくても、「脱ぐ」ことで感じさせるエロティシズムが一つの究極に達した現在、逆に「着る」ことに何らかの悦楽を感じる人たちが増えているのももっともなことかも知れない。「着る」こととは、拘束され、役割をふられ、そうして違う何かに変身できる最も簡単な手法だからだ。以下のような人たちも、だんだんと普通に感じられてくる昨今、そういう自由もアリなのだろう。

  • 「男にもスカートはく自由を!」 NYで100人がデモ

http://cnn.co.jp/fringe/CNN200402100005.html

  • あこがれの“萌え系”の服を着てしまった、覚醒した男たち(2004/2/12)

http://internet.watch.impress.co.jp/static/yajiuma/index.htm

しかし、こういう着方の快楽はタブーと表裏一体だからこその快楽であって、ヴァーリーのSFのように性さえもファッションとして簡単に「着替える」ことができる時代ともなると、また違った「着方」が現れるのかも知れないが。