「重力ピエロ」 伊坂幸太郎

近所の書店で「小説はまだまだ捨てたもんじゃない」というような惹句が書いてあったこの本に目が止まった。著者の経歴を見ると、元々、ミステリ畑の人のようだけど、最近の新人の受賞作を逐一追ってない自分としては、書店でこういう惹句でも見ないと網に引っ掛からないのであった。
書店の煽り文句(ここ十年で一番くらいに煽っていた)ほど面白かったかは別としても、一晩で読み終えるほどに面白い小説だった。そして十分に人に薦めたくなるくらいに愉快で哀しい作品だった。
この作品は遺伝子と家族に関する物語だ(このフレーズは作品中にも書いてあったかな)。言い換えると、先天的形質を超えた絆に関する物語とも言えるだろうか。家族が家族であることを再確認する過程を描いたミステリとも言ってもよい。
ただ、ミステリとしての意外性はそれほどないかも知れない。けれど、彼ら家族に関して寓話性に富む数々のエピソードが持ち出されてきたり、いろんな文学作品や映画からの引用がちりばめられていたりと、ミステリとは違う部分での楽しみ方が存分にできる小説だ。そういう意味では、中井英夫の「虚無への供物」に似た印象を受けた。重厚さという点では及びもつかないかも知れない。それでも、「重力ピエロ」というタイトル通りに、生まれながらに涙の表情を刻印されたピエロが、遺伝子という重力に逆らって精一杯の笑顔で空中へと飛翔していくような、哀しくもなお軽やかさを感じるようなアンチミステリだったと思う。
また、この作品は全体が50個ほどの短い章に分けられていて、それぞれに意味深いタイトルが付けられている。上でも書いたように、主人公たちに関するエピソードや数々の引用がそれら断章として提示される形になっているので、小説を読んでいるというよりも、エッセイ集を読んでいるかのような印象を受ける。そういう点も全体の印象を軽やかに感じさせる効果を与えているようだ。こういう手法が新しいものかどうかは寡聞にして知らないけど、すごく格好よくて自分でも使ってみたくなった。
本書の主人公たちは、「家族ごっこ」でもそれが本当の家族になれるということを多くの犠牲ののちに示し得た。作品中、本当の父親を捜し出した少女が放った一言と、それを裏返した春の一言。その強烈なコントラストが暗示していること、それこそが家族の在り様というものが重力の軛を断ち切って跳ね上がったところに在るということだろう。
余談だけど、今読んでる「スクラップド・プリンセス」も、偶然にも「家族ごっこ」が本当の家族になりえるかがテーマ。こちらの主人公はややブラコン気味なのが心配だけど、物語の最後には春と同じ台詞でもって「家族」であることを選び取ってもらいたいものだ。