四国遍路行 第4日目 23:00

今日は朝から雨。宿からすぐ近くの18番恩山寺を打つと、源義経屋島に向かう際に敵軍がいないのを確認して弓の弦を張り直させたという弦張坂を抜けて19番立江寺へと向かう。この弦張坂を含む義経が進軍の際に通った街道(と言ってもただの山道)は、義経ロードとして観光スポット化されているらしい。雨が降っていなくて時間に余裕がある時だったら、もっとこの場所を満喫できるのになぁと思いつつ、足早に山道を抜けていく。
雨は恩山寺を出る頃から傘が必要なくらいになっていた。そして、19番立江寺を発つ頃にはかなり本降りになってきた。本当ならすっぽり体を覆うタイプのレインウェアを買って行きたかったのだけど、適当なものが見つからなくって、小さな折畳み傘だけ持ってきていた。雨降らないだろうと淡い期待をしていたんだけど、ものの見事に打ち砕かれた。小さな傘だと、あっという間に服が濡れてくる。しかも、田舎の細い道、歩道がない部分も多く、路肩の端っこを歩かないと、車がはねる水しぶきをモロに被ってしまう。
四国遍路では、昔から「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と言われ、12番焼山寺、20番鶴林寺、21番太龍寺は難所とされている。12番焼山寺の難所っぷりは一昨日、存分に味わったけど、今日はこれから第2位と第3位をやっつけないといけない。昨日の宿屋のおっちゃんは「20番と21番は女性のボインや」と言っていた。つまり、山を二つ、登っては下りを繰り返さなくてはならないらしい。雨だというのに、えらいこっちゃ。
難所とは言え、鶴林寺太龍寺までの山道はかなり整備されていて、天気が良ければそれほど酷い道ではなかったと思う。しかし、雨が降っていると、いくら整備されていても滑りやすくて結構危ない。しかも、お昼すぎ、鶴林寺に着いた頃には雨足はどしゃ降りの様相を呈してきた。下着まで完全に濡れてしまっているため、じっとしていると寒くて振るえてきそうなくらい。初日に会った遍路のおじさんは、行き倒れになった時に備えて杖に名前を書いておけ*1と言っていたが、それがまんざら冗談でなく思えてくるほど、このときばかりは次の寺まで辿り着けるかマジで心配になった。たとえ、なんとか辿り着けたとしても風邪をひいてしまいそう。お堂の陰で持てる服全部(と言ってもTシャツ2枚にデニムシャツ2枚のみ)を着こんで、いざ太龍寺への道へと踏みだした。
太龍寺までの山道で、初めて逆向きに歩いている遍路と出逢った。88ヶ所を1番から順に打つ*2のを順打ち、逆に打つのを逆打ちと言って、逆打ちは順打ち三回分の功徳があると言われている。また、余談だけど、坂東眞砂子の小説「死国」では逆打ちは死者を蘇えらせる秘術として描かれていた。逆打ちは道が分かりにくく難度が高いのは事実らしいので、実際にやっている人は少ないようだけど、事実、今回も三日目にして初めて出逢った。
相変わらず雨が降り続く中、6.5kmの山道を踏破して、ようやく太龍寺へと到着する。大きな木々に囲まれて静寂という言葉が似合いそうなこの寺は予想以上に大きな寺院だった。観光客には麓からロープウェイが運行されていて、本堂も寺門の方ではなく、ロープウェイ乗場の方を向いていた(昔からその向きだったかどうかは知らないけど)。ここも雨さえ降っていなければ静かな雰囲気を味わえたんだけどなぁと思いながら参拝。さぁ、後は宿屋に行くだけと、この寺を後にしようとしたとき、片足が義足の若い男性がやってきた。この男性、Tシャツに短パンという軽装だったので、てっきり近くまで車か何かでやってきたのだろうと思っていたら、後で同宿になったおじさんが聞いた話によると、この人も歩きで回っているのだそうだ。一日で歩ける距離は普通の男性よりも若干短かいようだけど、とにかく脱帽してしまう。この人も何かの目的を達成するために、遍路という手段を選んでいるのだろうか。
すっかり濡れ鼠になって宿屋に辿り着くと、さっさと風呂に入って温めさせてもらった。この民宿は結構大きいところで、風呂も質素だけどちょっとした旅館並に大きい。湯船で冷えきった体を温めつつ、行き倒れにならなくって良かったとほっと胸を撫で下ろした。この旅館では、若い女性、リストラされたという若い男性、小学生とその父親、大学生、昨日の宿で会ったおじさんという歩き遍路に出逢った。

今日の行程

ポイント到着時刻次までの距離
宿屋 7:10 0.5km
18番恩山寺 7:20 4.0km
19番立江寺 8:3014.0km
20番鶴林寺12:20 6.5km
21番太龍寺15:30 4.3km
宿屋16:55 7.4km
所要時間移動距離
9h45m29.3km

*1:昔、遍路が行き倒れになった場合、卒都婆の代わりに金剛杖を立てたという。

*2:四国遍路ではお寺で御参りして納め札を納めることを、札を打つという。