「Route88」 小林キユウ

写真家である著者が、四国88ヵ所の歩き遍路をしている若者へインタビューを試みた本。「試みた」と言ったのは、著者自らも自戒を込めて振り返っているように、遍路に対してなぜ遍路をしているのかを問いただすのはタブーとされているから。しかも、この著者はカメラマンである上、全行程を4回に分けた取材旅行の中、3回までを車で移動しての取材を行っている。もとより傍観者である宿命から逃れられないはずなのだ。こういう理由から、このインタビューが、端から見られると詰めが甘いと取られるであろうことは著者自身も認めるところ。確かに自分もそういう感想を持った。そういう意味で、実際に遍路を考えている人にとって本書は役に立たないと思う。実利的にも精神的にも。
本書に登場する若者たちが四国を遍路する理由は様々だった。貧乏旅行の延長として、何かをやり遂げようとして、そして何かを見つけようとして。彼らにとって、四国遍路はたまたま国内にある、貧乏海外旅行先と同じようなもののようだ。だからこそ、なぜ遍路という問いに対して明確に答えられる答えなんて最初からないのだ。四国遍路である必然性がないのだから。
だが、遍路になろうとして四国を歩いたわけではないこの若者たちも次第次第に遍路になっていくらしい。この時代に1400kmもの距離をただ歩いて移動するだけの無駄な行為の中で、日々、自分自身と見つめあい、そして四国の人々の情に触れる中で、それまでのあくせくした日常生活の中で見失っていた数々の事柄に気づき、そして癒されていく。お四国病院とも呼ばれる四国遍路のご利益は、等しく誰にでも与えられるようだ。
本書は、読み物としてはそれほど面白くない。実際にこれだけの若者が歩いて遍路してるんだという確認の意味くらいしかないと思う。やはり、同じ若者でも、ただの傍観者でなく、実際に歩いた人の記録(「娘巡礼記」や「平成娘巡礼記 四国八十八ヵ所歩きへんろ」)の方が何倍も面白いし、なぜ遍路という問いへの答えも得られると思う。