「イリヤの空、UFOの夏」1〜4 秋山瑞人

未読の人は以下は読まずにとっとと本書を読むように。特にオヤジども、綿矢りさとか読んでないで本書を読むこと。社会のクロックに同期することに慣れきって、磨耗しきった己が身の中の少年の心を、眩しい同級生に送る淡い恋心を、そして、その時期特有の万能感と現実の社会に直面したときの無力感を思い出すのだ。

以下、ネタバレを大いに含むので、未読の人は何があっても読んではいけない。

誤解を恐れずに言うと、本書は「究極超人あ〜る」と「最終兵器彼女」を「中学生日記」枠で描いたという感じだった。キャラの描写もどこかギャグアニメっぽい能天気さが漂っているし、優柔不断な少年と謎の転校生美少女、少年に恋心を抱く同級生という、いかにもな王道パターンなのだが、やはり王道は王道。いくらパタンが見えていたとしてもその破壊力は凄まじい。しかも、この作家、文章がうまい。この人の作品はこれが初めてだったが、文章下手っぴなライトノベル系作家が少なくない中、確実にうまい。

最初、リテレールの「いち押しガイド」や「SFが読みたい!」で本書が紹介されているのを見たときには、単純な『ボーイ・ミーツ・ガール』ストーリー程度に思っていた。そういう紹介のされ方だったしね。確かに、1〜3巻目前半までは能天気な新聞部の活動を交えた正統派ラブコメ路線だった。しかもかなり萌えるラブコメである。昨日は書かなかったが、NHKの土曜19時のドラマ枠で映像化して欲しいとも思ったほどだ。アニメ化ではいけない、実写化すべきだ。

それでも、文章のところどころに差し挟まれる自衛軍、帝都泰邦(やすくに)、北の共和国勢力という言葉や、転校生、伊里野(イリヤ)が何かすごい戦闘機のパイロットらしいということから「最終兵器彼女」的な暗い匂いを嗅ぎ取っていた。そんな匂いを漂わせた伊里野だったからこそ、空を隔てて浅羽とマイムマイムを踊るくだり、そして、恋敵、晶穂との大食い対決でさえも、彼女の悲壮なまでの浅羽への想いが伝わってきて涙がこぼれたのだ…。たぶん、今後、間違っても、大食いする女の小説を読んで泣くことはないだろうが。

そういう意味では、1巻目を読んで思った「最終兵器彼女」の雰囲気というのは、完全なる正解だった。それも、悪く言えばパクリにも近いくらいの近さだと思う。しかし、はっきり言おう。本書の方が100倍良い。100倍萌えて100倍笑って100倍恥ずかしくて、そして100倍ブルーになれる。だから、しばらくブルーになっても良いときじゃないと読んじゃいけない。間違っても締め切り直前には読んではいけない。

そう、3巻目後半からのストーリーは読んでいて切なすぎる、痛すぎる。「最終兵器彼女」まんまの逃避行なのだが、片や高校生、こっちは中学生。この歳の違いは大きいのだ。彼女を救えると思って逃げたにも関わらず、結局は相手の掌中。さらに途中からは、ちせのように、またはアルジャーノンや神父の娘レイチェル(間違えた。神父じゃなくて大学教授)のように破滅の刻限が切られた逆回しの時間を走り始める伊里野。王道の泣き所を持ってきているのが分かるが、定石は素直に従ってこそ意味がある。ページをめくるごとに自分の気持ちがだんだんと沈んでいくのが分かった。3巻目途中までは喫茶店にて読んでいたのだが、こりゃいかんとばかりに早々に帰宅する。実際、4巻目を読んでる姿は人には見せられたものじゃなかったと思う。

そして、すべてがハッピーエンドに終わるのかと思った最後の最後での再会。一人の少女には重たすぎる使命。少年のためにと選んだ出撃。その出撃を止められずに逆に少女に押し返される少年。寄せ書きという名の呪詛で埋め尽くされたパイロットスーツを着た伊里野の描写には怖気がたつのを感じた。さらには後日、少年に送られてきた手紙の形で語られる真相で、気持ちのブルーさは最高潮を迎える。辛すぎる結末だった。伊里野の「よかった」があのような形の結末を迎えて、本当に良かったのだろうかとも思った。いや、分かってる。大きな流れに巻き込まれて飛び立たざるを得なかったことを。愛する人のためという理由がたとえ麻薬に過ぎなくても、それに信じて賭けた本人に端からは口を挟めないことを。

いかん、また気持ちが沈んできた…。

世のオヤジどもの前に、小泉純一郎首相に読んでもらいたいな。知覧から飛び立った若者を見送る恋人の気持ちを感じ取ってください。