靖国の残したもの

書店でアナログ万引き(=立ち読み)した情報なんだけど、雑誌「正論」の別冊で「靖国と日本人の心」というのが出てて、その中で、BSマンガ夜話でお馴染みの大月隆寛氏が寄せた文章があった。
別に靖国神社を讃美してる内容ってわけじゃなくて、民俗学的視点から見た靖国神社の歴史みたいな内容。中では坪内祐三の「靖国」も引用して、大筋もそういう風な話なんだけど、面白いなぁと思ったのは、靖国を作ったものと、靖国が作ったもの。


靖国を作ったものは、明治期、流行の兆しを見せ始めた浪花節浪曲靖国神社境内でも興行されていたという、これら当時の人気音楽ジャンルが、日清・日露の戦勝ムードを伝え、靖国という雰囲気を醸成するのに役立ったというのは面白かった。現在のぷちナショナリズム©の時代風潮とも重なる?


靖国が作ったものの方は、在野の民俗学者田中丸勝彦さんの研究内容から紹介される。彼は英霊研究に身をささげ、その死後、研究をまとめた「さまよえる英霊たち―国のみたま、家のほとけ」という本が出版されている。大月氏の文章では、現在の葬式の在り様が、靖国の英霊の祀り方に由来するということを、この本から紹介している。田中丸さんを紹介したサイトから引用すると、


たとえば葬式である。今でこそ当たり前の「遺影」「喪服」「弔辞」などは、「英霊」の葬式である「公葬」にその源があるとし、当時の学校教育やメディアを媒介にして、国が作り上げたセレモニーが、家の行事にまで浸透し、人々の意識までを変えてゆく過程を明らかにした。さらに、佐賀県東松浦郡肥前町の殉職警察官を祀った神社の祭祀と由緒のありかたをめぐって、歴史を重ねる度に「美談」が変化増幅され 、警察官が神に祀られていく姿に、 「英霊」をオーバーラップさせていく。
ということだ。つまり、遺影の黒枠、黒い背広の喪服、そして弔辞、弔電という今でも普通に見られる葬儀スタイルが、靖国の英霊公葬に端を発したものであるということなのだ。結構、身近に靖国の影響が残ってるって知ってすごく意外だった。茶髪の女子高生と靖国の組み合わせに笑ってる場合じゃないね。
上のサイトの文章には別の面白い内容もあった。

親より先に子が亡くなる事態が恒常化することなどは想定されてはいなかった。この無縁化の不安に靖国という解答を準備し、戦争という行動へ国民を駆り立てるためのプロパガンダとされたのが、まぎれもない 「英霊」であった。

彼の残した研究メモには、
「弔い上げ 五〇年 しかしまつりが続けばそれはない 浮かばれない 遺族会は死者が浮かばれない道をとろうとしている それはまさに英霊の無縁化である 家から離れ不特定多数の第三者に祀られる」
とある。
つまり、無縁仏となることを防ぐための装置だった靖国神社が、逆に祖霊化を阻んで、結局は英霊の無縁化に繋がっているという逆説。こういうところは、民俗学者でないと考え付かない視点だろうな。
今読んでる「愛国心」(田原総一郎西部邁姜尚中)でも靖国神社の意味についていろいろと議論されているけど、こういうポイントは出てこなかったね。日本的伝統への回帰には、靖国的祭祀と従来の祖霊信仰との整合性も考えないといけなくないかな。