テキストとしての人体

Newsweekによると、アメリカの作家Shelley Jacksonが、2301語の小説「Skin」の発行計画を発表したそうな。印刷場所は人体。1人に1語ずつ刺青を入れていくらしい。
しかも、刺青した単語を撮影したりしての発表はされない。テキストは参加者だけにしか読まれないというわけだ。以降、参加者はその単語自身となり、たとえ刺青が消えようともその体の部位がなくなろうとも、小説は存在し続ける。参加者の死だけがテキストの改変を引き起こすというコンセプトらしい。
こういうのに参加する人の心情って、やっぱり繋がっていたい感なんだろうか。それとも、ある物語の中に自分の存在価値を見つけ出すとともに、その物語を通して見ず知らずの他人との運命を共有する快感というのもあるのかしら。これを聞いて、ふと、一昔前に「ムー」の文通欄なんかに載っていた、「○○の生まれ変わりの人を探して」いる人たちのことを思い出した。